ジム・キャリーという俳優を知っていますか?
世界的にはかなり有名なコメディアンですが、日本でも地上波でたびたび放送されていた「マスク」で主演に抜擢された俳優というと多くの人が「ああ、あの人ね!」と納得するはずです。
コメディタッチな作品でもシリアス寄りの作品でもその才能を遺憾なく発揮するジム・キャリーの代表作「トゥルーマン・ショー」。
クスッと笑える要素もありつつ、人間の怖さや生き方、エンターテインメントのあり方など、いろいろと考えさせられる作品です。
あらすじ
海辺の町で暮らす平凡な男性、トゥルーマン。彼だけは知らないが、実はその町は巨大なセットで、住民は妻に至るまですべてが俳優。しかも彼の人生はTV番組《トゥルーマン・ショー》を通じ、生まれたときからすべてが世界中に中継されており、人気を博していた。そんなある日、彼の愛車に、空からライトが落下してくる。その日を境にトゥルーマンは自分を取り巻く世界の異常さに気付きだし、ついに彼は真実を知ってしまうが……。
(引用元:WOWOW「トゥルーマン・ショー」)
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こんな人におすすめ!
- 毎日同じことの繰り返しでつまらない……
- アクティブに動きまわるより、むしろ同じ場所にいたほうが安心するかも
- 素敵な家族、フレンドリーな隣人、親身になってくれる友人、なにそれなにが不満なの?
- ジム・キャリーのサイコっぽいコメディ演技が大好き!
スタッフ・キャスト
- 監督:
– ピーター・ウィアー(Peter Weir) - キャスト:
– ジム・キャリー(Jim Carrey)⇒ トゥルーマン(Truman)役
– ローラ・リニー(Laura Linney)⇒ メリル(Meryl)役
– エド・ハリス(Ed Harris)⇒ クリストフ(Christof)役
– ノア・エメリッヒ(Noah Emmerich)⇒ マーロン(Marlon)役
– ナターシャ・マケルホーン(Natascha McElhone)⇒ ローレン/シルビア(Lauren / Sylvia)役
– ホランド・テイラー(Holland Taylor)⇒ トゥルーマンの母親(Truman’s mother)役
【ネタバレなし】「トゥルーマン・ショー」を観た感想
最初は「ザ・典型的なアメリカ人!」なイメージからはじまるトゥルーマンが次第に世界の異常性に気付きだし、疑心暗鬼になり、サイコパスのように人格が破壊されていく様子が見事に描写された作品。コメディを根本に置きながらも、SFやファンタジー、ドラマ、シリアスといったさまざまなジャンルを織り交ぜた演技ができるのは、ジム・キャリーを除いて他にはいませんね!

公開から何年経っても名作はやっぱり名作!
【1】どことなく胡蝶の夢を彷彿とさせる
トゥルーマンが“日常の違和感”に気付くのは、かなり序盤のほう。最初からエンジン全開ですね。
献身的で素敵な奥さんがいて、仕事もそれなりにうまくいっていて、フレンドリーな隣人がいて、親身になって話を聞いてくれる親友がいて……。
それなのに、なにかがおかしい。
いや、でももしかしたらおかしいのは自分かもしれない。そんな展開を見たとき、ふと、「胡蝶の夢」という単語が頭をよぎりました。
胡蝶の夢とはつまり、現実と夢の区別が付かない様、あるいは人生は儚いことのたとえ。中国の荘子による「蝶々になる夢を見た。いや、しかし人間である自分が蝶々になる夢を見ているのか、それとも蝶々である自分が今人間になる夢を見ているのか」という哲学的な説話ですね。
トゥルーマンにしても、自分がおかしいのか、それとも世界がおかしいのか。違和感はあるけれど、世界はいつもと同じようにまわっている。
なにもかもがいつもと同じだからこそ、ふとした拍子に些細な違和感を見つけてしまうという、なんともシニカルな展開が待ち受けています。
【2】ジム・キャリー迫真の演技
「マスク」を観たことがある人はわかるかもしれませんが、コメディに掛け合わせた真に迫ったサイコパスな演技はまさにジム・キャリーならではです。
面白さと狂気は紙一重。
この2つの乗りこなし方が非常にうまいんですよね!
違和感の正体に気が付いたトゥルーマンが徐々に追い詰められ、その状況を打開すべく驚きの行動に出るまでの描写が大胆でありながらも、絶妙に繊細。序盤からグッと惹き付けられる内容となっています。

そもそも普通、自分が生まれ育った街が大がかりなセットだなんて考えもしないもんね! そこに違和感を持つだなんて、自分は狂ってしまったのでは……と思っても不思議じゃない!
【3】人生とは一体なにか?
奥さんから親友、隣人、会社の同僚まですべてが俳優。
トゥルーマンそのものが外の世界の住人にとってはエンターテインメントなわけです。でも、トゥルーマンにとってはそれが現実。
それに気付いても気付かなくても、トゥルーマンの人生は終わることはないし、誰に邪魔されることもない。奥さんは奥さんで、親友は親友。それはそれで幸せな人生を送れていたことでしょう。
でも、それなら人生って一体なんなんでしょう?
結局は自分自身で考え、自分なりに納得できる答えを探していくしかないのかもしれませんね。人生は自由だからこそ、責任も付きものです。
トゥルーマンはなんのために生まれ、なんのために育ち、なんのために仕事をして、なんのために戦いたかったのでしょうか。自由だと思っていた人生が実はすべて操作されていたのだと知ったトゥルーマンの悲しみは、計り知れません。

っていうか、24時間体制で監視されてるとか怖い……。
【4】でも、人生とは結局不自然の連続なのかもしれない
あらすじでもあるとおり、物語は上空からライトが降ってくるシーンからはじまります。
人生って、なんだかんだ不自然。
毎日同じことが起きればそれはそれで不自然だし、勇気を振り絞って違う環境に飛び込んでみても慣れるまでは違和感を覚えることでしょう。
人間は結局、多少不自然なことがあっても適用できるようにつくられているんだなと。
おそらく日々感じる「なんかちょっと違うなという感覚(コレジャナイ感)」や「仕事やプライベートでの他者との認識のズレ」、「価値観の違い」なんかも一種の不自然さ(違和感)といえるのではないでしょうか。
そのまま不自然を受け入れるのか、それとも正面から向き合うのか。トゥルーマンの決断も見ものです。
【5】コンフォートゾーンにいることの難しさ
人が落ち着いて行動できる範囲のことを「コンフォートゾーン(Comfort Zone)」といいますよね。
トゥルーマンにとっては自分の今いる世界がまさにコンフォートゾーンであり、そこが巨大なセットだと知ったにしても選択肢はいくつかあったはずです。
たとえば、その世界を抜け出す。たとえば、そのままなにごともなかったかのように過ごす。たとえば、近しい人に気持ちを打ち明ける、など。
全員が俳優だったとはいえ、奥さんや親友などがまったくトゥルーマンになんの感情も持っていなかったとは思えません。プロデューサーからの指示で台詞を読み上げていたとしても、長い間一緒にいる人間のことをただ無感情に見つめることなんてできるでしょうか。
それを考えれば、最後の手段もありといえばあり。
でもやはり、意外とコンフォートゾーンにとどまり続けることは難しいものです。
自由が制限されたら、本当の自由を見てみたくなって当然です。ここが現実でないと気付けばことさら、自分の正体を知りたくなって当然です。
きっと、トゥルーマンの人生はこれから。セットの壁に描かれた空からワンステップで外の世界に飛び出していく(羽ばたいていく)なんて、なんとも粋な演出ではないですか。
【6】人は善にも悪にもなり得る
本作品では、プロデューサーと一般人(観客)が対照的に描かれているのが印象的でした。
人によっては、トゥルーマンの人生をエンターテインメント重視で操作し続けたディレクターを悪だとするかもしれません。それなら、観客が善?
でも、作中のトゥルーマンは決して不幸な人間ではないんです。
素敵な家庭があって、隣人とも仲が良くて、同僚ともそれなりにうまくやっていて、街中に知り合いがいて。それなりに、というより、どちらかといえばかなり境遇には恵まれているはずですよね。
それもすべて、プロデューサーが仕組んだことです。ともすれば、必ずしも悪とはいえないのではないでしょうか。それなら観客だって、必ずしも善ではないはず。
結局は他人で、第三者だからこそなんのしこりもなくトゥルーマンの幸せを喜んであげられるわけです。それにしても、ラストシーンのトゥルーマンがきっちり自身のショーをしめてくれるあたり、エンターテインメントとしては大成功でしたね。

とにかく……ジム・キャリーが格好良すぎるから見てみてね!
生きる意味を考えさせられる作品
現実世界がすべてつくりものということはまずありえませんが、自分はなんのために生まれてきて、なんのために生きていくのか。
そんなことを深く考えさせられる作品となっています。
個人的には、トゥルーマンがそうであったようにそんな理由なんて後付けでかまわないのかな、なんて。
この、映画作品の中の、さらにテレビ(巨大セット)の中で生きるトゥルーマンを本気で応援したくなる「トゥルーマン・ショー」(不思議な構図!)。まさに、トゥルーマンの人生そのものが平凡から不幸へと、不幸から幸せへと、そしてさらには誰にも縛られることのない自由へとつながるエンターテインメントだったんですね。
※本記事の情報は2020年11月のものです。

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