聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア(字幕版)
表題にもありますが、バリー・コーガンの怪演ぶりが光りに光りまくっている名作です。
この作品を観ると、他のどのバリー・コーガンを見てもいったん身構えるようになるというすごさ。終始暗澹とした雰囲気で、不穏な空気感の中進んでいくので、ドキドキしっぱなしの2時間になること間違いなし。
※内容の都合上、一部ネタバレにつながるような文章が入っています(明確なネタバレはなし)。ご了承ください。
本記事は2024年04月に執筆されました。すべての情報は執筆時点のものです。
ワンフレーズ紹介
あなたもきっとナポリタンが食べたくなる。
作品情報
タイトル | 聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア |
原題 | The Killing of a Sacred Deer |
ジャンル | ホラー、サスペンス、ミステリー |
監督 | ヨルゴス・ランティモス |
上映時間 | 121分 |
製作国 | イギリス、アイルランド |
製作年 | 2017年 |
レイティング | PG12 |
個人的評価 | ★★★★★ |
あらすじ
心臓外科医のスティーブン・マーフィーは、美しい妻との間に二人の子どもを設け、郊外にある豪邸で恵まれた暮らしを送っていた。そんなある日、スティーブンはマーティンという少年を家に招き入れ、家族に紹介する。家の外でもスティーブンと会っているマーティンの存在が、やがて一家に不穏な影を落とすようになる……。
▼DVD▼登場人物
(敬称略)
スティーブン・マーフィー(演:コリン・ファレル)
心臓外科医。美しい妻と二人の子どもたちに囲まれて、恵まれた生活を送っている。
アナ・マーフィー(演:ニコール・キッドマン)
スティーブンの妻。眼科医(現在は医院を改装中)。
キム・マーフィー(演:ラフィー・キャシディ)
スティーブンの娘。14歳。12歳の時から聖歌隊に入っている。
ボブ・マーフィー(演:サニー・スリッチ)
スティーブンの息子で、キムの弟。母親と同じ眼科医になりたいと思っている。
マーティン(演:バリー・コーガン)
16歳の少年。父親を亡くし、現在は母親と二人暮らし。スティーブンの紹介でマーフィー一家と知り合い、徐々に一家に不穏な影を落としていく。すべては復讐のため。
映画「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」の感想
映画「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」の感想です。本作の見どころは、なんといってもバリー・コーガンの光る怪演。彼が出てくるたびにゾクッとする気分が味わえます。
秀逸なタイトル
まずね、多くの人が思っただろうところをひとつ。
「『聖なる鹿殺し』ってどういう意味?」
鹿なんて一匹も出てこないし、それなのになぜか妙にこの作品とマッチしているような気もして、かつちょっと不穏さが漂う絶妙なタイトル……。
ところで、この「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」を観ていた時、個人的な感想ではあるものの、登場人物たちにやたらと人間味があって、けれどもやっぱり人間味がない……という矛盾した感情を抱いた自分に気がつきました。
追い詰められたとき、何を犠牲にしても自分だけは生き残りたい! そう考えるのって、残酷ではあるけれど人間味はある。むしろ、「自分はどうなってもいいから、みんなを助けて!」なんて自己犠牲を発揮されると、演出によっては「お前は女神かなにかか!?」と思ってしまうこともあるぐらい。
けれども、作中ではこの「なんとしても生き残りたい」というある種人間味のある感情と共に、平然と「子どもはまた作れる」と言う母親がいたり、まだ何も決まっていないうちから、弟に対して「あなたが死んだら……」などと相手の死後について話す姉(しかも内容はとてもくだらない)がいたりする。
ここで罪悪感のひとつも抱いていなそうなのは、流石におかしい。
誰よりも人間味があるのに、やっぱり人間らしくはない。
そう思ったとき、ふとギリシア神話の神々のことが思い浮かびました。
ギリシア神話に登場する神様って、とても人間くさいんですよね。時に裏切り、時に権力闘争に身を投じ、時に復讐に走り、時に束縛し、時に燃え滾るように熱く愛し合う。
けれども、かと思ったら、自分の怒りに触れた者に対しては苛烈な罰を与えたりする。人間くさいところはあるけれど、やっぱり人間じゃない。
で。
本作でメガホンを取ったヨルゴス・ランティモス監督もギリシア出身。
ということで、調べてみたところ、この「聖なる鹿殺し」とは、「アウリスのイピゲネイア(Wikipedia参照)」という古代ギリシア(ギリシア神話)の悲劇っぽいところがいくつかあるらしいと知りました。作中でも、娘のキムが「イーピゲネイア」について触れています。
本記事は考察とはちょっと違うので軽く触れると、女神アルテミスの怒りを買ったミケーネ(ミュケーナイ)王であり、トロイア戦争におけるギリシア軍の総大将でもあったアガメムノーン(アガメムノン)が、アルテミスの怒りを鎮めるため、娘のイーピゲネイア(イピゲネイア)を生贄として差し出したという話。
一説によると、イーピゲネイアは祭壇の上で鹿に入れ替わったとされています。
つまり、本作の場合、アルテミスの怒りを買ったアガメムノーンがスティーブンで、アルテミスがマーティン、イーピゲネイアがキム、イーピゲネイアと入れ替わった鹿がボブなのではないかと推測できます(ま、本当にそうなのかは知らんが)。
あと、これは指摘している人もそれなりにいるようですが、ポスターでは「聖なる」「鹿殺し」と2つのパーツで色分けされているタイトル。
原題が「The Killing of a Sacred Deer」なので、正確には「聖なる鹿」「殺し」ですね。このあたりの解釈、結構重要な気がするのだけれど、どうでしょう?
こだわりのカメラワーク
本作を語るうえで欠かせないのが、かなり印象的なカメラワークです。
正直、ヨルゴス・ランティモス監督って(個人的には)フィックスが主なイメージだったんですけれども、本作ではドリー(トラッキング)ショットが目立っていましたね。
スティーブンが、ボブの乗る車椅子を押して病院の廊下を走るシーン。
またね、このシーンで特に思ったのが、ドリーもそうなんですけども、シンメトリック(左右対称)な構図だなあって。気にしながら観ていると、他にも結構このシンメトリックな構図が使われていました。
ホラーにおけるシンメトリーって意外と怖い。
完璧だからこその違和感というか、不穏さというか。
で、このシンメトリーというところで思い出すのが、あのスタンリー・キューブリック監督。映画「シャイニング」のダニーが三輪車で走るシーンとか、双子の少女が並んで立っているシーンとか、まさに左右対称ですよね。
実は、母アナを演じたニコール・キッドマンも、インタビューでは下記のように語っています。
キッドマン:ランティモス監督はスタンリー・キューブリックに似ていて、「どうしてこうなるんです?」と聞いても肩をすくめるだけ。
(引用元:『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリット・ディア』ニコール・キッドマン インタビュー|映画・エンタメ情報はムビコレ MOVIE Collection)
実際に意識しているかはわかりませんが、シンメトリーを多用する監督といえばスタンリー・キューブリックの名前が出てきます。
あと、例えば病院で検査を受け、エスカレーターを降りたあとにボブがパタリと倒れるシーン。
実に違和感を覚えるカメラワークでした。
上から映し、徐々にぬるぬるとズームしていくあの感じ。
俯瞰で見たときの視点というか、なんというか、マーティン(アルテミス=女神/神)が見ているようでもあるし、第三者である我々に「目撃者のひとりだぞ」と訴えかけてくるようでもある。
とにかく、この世(この作品の中での現実)のものではないなにものかが干渉しているような不穏さを感じるシーンでした。
また、広角レンズの映像もたびたび使われていた印象。
特に、アナ含め、医師たちが話し合いをしているときのカンファレンス・ルーム。あれをするだけで、グッと不気味さのレベルが引き上げられるような気がしました。
(神からすれば)人間も所詮は景色の一部でしかないと言われているような恐ろしさがありましたね。
与えられたものに対して律義に返すというやり方
マーティンは良くも悪くも公平な人。
何かしてもらったら、相手にも同じだけの何かを返す。
たったそれだけのこと。マーティンの世界って、考えてみればかなりシンプルです。
ただ、それが良いことならいいけれど、例外なく悪いことにも作用してしまったというだけのこと。
たぶん、マーティンの中ではそれをプラマイゼロとして考えているんじゃなくて、そういうものだと認識しているんだろうなと感じました。
正義があるのは意外とマーティン
じゃあ、この中で誰に正義があるのかというと、まあ、実際は「んなもん、誰にもないわ」に近いんですけれども、あえて言うとすれば、意外とマーティンなんじゃないかなって思います。
マーティンにとって、これは(自分の)正義の復讐ですからね。
それに巻き込まれたアナやキム、ボブだけれど、だからといって一概に可哀想だと同情しきれないのは、キムもアナもその時々に支配者っぽく見えるほう(マーティンかスティーブンか)にすり寄り、他の家族の命を軽んじる発言を平然とするからかもしれません。
といっても、何が正義かということの基準は、人によってだいぶ違うと思うんですが。
なんでもアリにするバリー・コーガンの怪演
個人的にこの作品はとても好きですが、じゃあなにもかも納得しているかというとそうでもない。
事実、いくつかの謎はそのまま放置、まるで「考察せよ」と挑戦状を(勝手に)叩きつけられているような感覚になりました。
ただ、そんな謎さえ「まあ、そんなもんか……」と思わせてくるのがバリー・コーガンの存在感。
いや、あれすごくない?
なにあれ?
怖い! すごい!
訳がわからないんだけど、訳がわからないなりにめちゃくちゃ怖い。好青年だったはずのマーティン(バリー・コーガン)が、気付いたら不気味な存在になっている……。
間違いなく人間なのに、なぜかあまり人間らしくないせいか、非日常な出来事が起きて、そこにいくつか謎が残されていようとも、まあ、マーティンだしな……(ギリありえるか……)と思ってしまう。
クリームブリュレを見ると「アメリ」を思い出すように、今後ナポリタンを見たら「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」(のバリー・コーガン)を思い出しそうです。
意外と散りばめられているコメディー要素
じゃあ、内容的に終始ずっとシリアスなのかというと、もちろんそうなんだけど、意外とコメディー要素も散りばめられていました。
ただ、家族一緒に観てワッハッハとなるやつではなく、下ネタとゲスネタのオンパレード。※要注意
「全身麻酔プレイ」とか目の当たりにした日には、大笑いしましたよ、ほんと。確かにニコール・キッドマンは美しかったけれども。
私は一応ああいった描写をコメディーと解釈しましたが。
あるいはギリシア神話になぞらえているとするならば、ギリシア神話ってどの柱とどの柱が関係を持って……かと思えば誰誰と不倫関係にあって……みたいな泥くさいことも多い。
そのうえ、アルテミスは処女神でもあるので、不貞や純潔性にはかなり厳しかったらしく、そのあたりをシニカルに表現していたのかなとも思ったり(完全に個人の想像です)。
ただ、親と一緒に観ると気まずくなる人はいるかもしれませんね。
映画「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」が好きな人におすすめの作品
映画「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」が好きな人には、以下の作品もおすすめです。
まとめ:静かな暗澹とした物語が好きな人に
ジャンプスケアが多いシンプルなホラーより、なんだかんだこういったタイプの話が一番怖いし、後味が悪いと思います。超自然現象が起きてはいるものの、マーティンを見るとヒトコワに近い。
ホラーでもないし、ミステリーでもない。
「いったいなんなんだ、この話は!?」としばらく考え込みたくなる作品でした。
Rotten Tomatoes
TOMATOMETER 79% AUDIENCE SCORE 63%
IMDb
7.0/10