
ロングウォーク (扶桑社BOOKSミステリー)
小説「死のロングウォーク」の感想です。
ホラー小説の帝王として有名なスティーヴン・キングがリチャード・バックマン名義で執筆したホラー小説。実質上の処女長編ということみたいです。
中盤あたりまでは「なかなか進展しないな……」と思いつつ読んでいましたが、終盤の盛り上がりに一気に引き込まれました。歩くか死ぬかのシンプルな競技で、わかりやすく性格が悪い人はいないのにいろんな展開があって面白い(過酷すぎる状況なのでそれなりに人格崩壊気味な人はいる)。

小説「死のロングウォーク」の見どころは……
- 過酷な状況の中で築かれるウォーカー間の友情。
- ウォーカーそれぞれの感情の動きと揺れ。
本記事は2026年07月01日に執筆したものです。すべての情報は執筆時点のものですので、最新の情報はご自身で直接ご確認ください。
作品情報
| タイトル | 死のロングウォーク |
| 著者 | The Long Walk |
| ジャンル | ホラー、サスペンス |
| 出版社 | 扶桑社 |
| ページ数 | 412 |
| 発行日 | 1989月07月01日 |
| 好きレベル | ★★★★☆ |
あらすじ
歩くか死ぬか、ふたつにひとつ。最後のひとりになるまで歩き続ける競技「ロングウォーク」に参加することになったレイ・ギャラティ。歩行速度が4マイル以下になると警告を受け、それを何度か繰り返すと脱落する過酷さを前に、ギャラティは……。
主な登場人物
レイ・ギャラティ
47番。心配する母親を振り切って参加。恋人のジャンと再び会うことを目標にして歩き続ける。
ピーター・マクヴリーズ
61番。頬に傷を持つ青年。皮肉屋な部分もあるが、ギャラティがピンチに陥ると助けてくれる情に厚い一面も。
ステビンズ
88番。競技中のほとんどの時間、参加者の最後尾を歩いている。スタート時から、ギャラティがちょこちょこ気にしている青年。
アート・ベイカー
3番。ギャラティとマクヴィンズと共に「三銃士」を名乗り、歩行。
ハークネス
49番。ロングウォークのことを書き残し、本にするのだと意気込んでいる青年。
ハンク・オルソン
70番。序盤はギャラティやマクヴリーズ、ベイカーと共に歩くことが多かった。
スクラム
85番。花粉症持ちで、参加者の中で唯一の既婚者。現在妻は妊娠中。
ジャン
ギャラティの恋人。ギャラティが歩く目標にした人物。
少佐
ロングウォークの監督を務める軍人。ウォーカーたちを鼓舞するため、時折ギャラティたちの前に現れる。
小説「死のロングウォーク」の感想
小説「死のロングウォーク」の感想です。人間、一番つらいのって「終わりが見えない」ことなんだなと思いながら読み終えました。
映画化された作品
スティーヴン・キングがリチャード・バックマン名義で執筆した「死のロングウォーク」。映画化されるということでこちらも観に行ってきましたが、まずは小説についての感想を述べていきたいと思います。
先述したとおり、本作はスティーヴン・キングの実質上の処女長編ということらしい(スティーヴン・キングが大学1年生のときに書き上げた作品とのこと)。
読んでいてなんとなく「なるほどね」と。面白いは面白いんだけど、ちょっと荒削りなところがあって、中盤あたりまではやや退屈なシーンもそれなりでした。
ただ歩くだけの競技
ロングウォークは、ただ歩くだけの競技。
歩けなくなったら脱落。シンプルにそれだけ。
だからなのか、それとも若さゆえなのか、ウォーカー(参加者)たちはスタート時点ではけっこう呑気に見えます。まだ死というものを遠くの出来事のように感じているのでしょう。
このあたりは、正直「そんなわけないやろ!」なんですが、自分が死ぬ瞬間をリアルに想像するというのは、思った以上に難しいことなのかもしれません。
ウォーカーの歩く理由
この手の作品で珍しいなと思うのは、競技に参加した理由を、ウォーカーたちも明確にはわかっていなそうなところ。中に書かれていた情報によると、ロングウォークへの参加は強制でなく、定められた期限までなら選ばれた人にも棄権する(参加権利を放棄する)自由があるらしいのに、みんなこうして命をかけて歩いている。
ギャラティなんか、恋人のジャンには参加を取りやめるように説得を受けたらしいですしね。母親の恋人にも。でも、参加した。作中の雰囲気から言うと、ギャラティは自分でもなぜそうしたのかわかっていないようでした。
ステビンズ曰く「おれたちは死にたいから歩いている」ということでしたけれど。まあ、なんていうか、確かにそれしかないよねと言いたくなる気持ちはわかる。その後、ステビンズは続けて「ほかにどんな理由がある?」と言っていましたが、本当にそう。
100人いて、その中のたった1人しか生き残れない競技で、「大金が手に入り、ひとつだけどんな願い事も叶えてもらえるから」と即答できない時点で、実は破滅願望のようなものがあったのだろうし、こういうのは誰の心の中にもあるものなのかもしれないと思ったりします。
終わりが見えない地獄
これ、自分の経験的にも言えることなんですが、人間が一番疲労を覚える状況って、終わりが見えないときだと思うんですよね。「いつ終わるのかわからない」「いつまでやればいいのかわからない」という状況が、人をもっとも疲弊させる。
ロングウォークには地点としてのゴールがない。
終わるのは最後のひとりになったときで、それがいつになるかは皆目見当がつかない。これはきついだろうなと想像できます。
しかも、100人もいればね。座り込んでしまいたいと思ったとき、「あとこれだけの人を歩き倒さなければならないのか」と思ったら絶望する人は多そう。
地の利があったギャラティ
それで言うと、やっぱりギャラティはある程度有利だったのだろうと感じました。
というのも、ギャラティはウォーカー唯一の開催地出身者。
だから応援の声も多くて、それにうんざりしていたりもするけれど、終盤は「地の利」を感じさせる描写もありました。
例えば、
フリーポートの手前ではこれが最後の大きな登り坂だ。
(引用元:スティーヴン・キング「死のロングウォーク」扶桑社|1989|P348)
みたいな。
これがあるかないかでだいぶ疲労度が違ってきそう。もちろん、ギャラティが地理にめちゃくちゃ詳しいのかというとそうではないみたいだし、奇跡が起きて開催地であるメイン州を抜けてしまった場合、地の利もなにもあったものじゃないんですけど。
「最後の大きな登り坂だ」と思って上るのと、「このあとにもまた坂があるかもしれない」と思いながら上るのとでは大きな差がありますね。たとえそれがフリーポート周辺限定だったとしても。
皮肉屋と悪人
なお、個人的に感じたのは、皮肉屋が多いなということ。
バーコヴィッチは言わずもがな、マクヴリーズとステビンズも。ギャラティが皮肉ばかり向けられていて、ちょっと可哀想ですらありました(笑)。
とはいえ、皮肉≠悪人。
ランク少年の死の原因になったバーコヴィッチですら、完全なる悪人だとは思えなかった。参加者が10代の子どもたちだと思うとなおさら、この状況で内心ではパニックに陥っていたのではないかとか、まあ、いろいろ考えてしまいます。実際、悪いように作用しなかっただけで、終盤ではギャラティもバーコヴィッチと似たような行動を取っていますしね。
じゃあ、軍や国が悪なのかというとこれもちょっと微妙なところで、終盤前ぐらいまではギャラティたちも軍を悪く言っていたけれど、限界を超えると軍にはもう思いを馳せなくなるんですよ。もはやそういう次元ではないというように。厳密に言うと、軍上層部の中に確実に悪はいるんだろうけど、限界を超えたギャラティたちにとってはもう「倒すべき相手」ではなくなってしまったという感じ。
このあたりが切なさを覚えるところでもありました。
ロングウォーク=ベトナム戦争
本作は、スティーヴン・キングの執筆時期的に、ベトナム戦争を意識して書かれたものではないかと言われているそうです。
いやいや、ロングウォークには棄権する権利があるんだから戦争とはちょっと違うじゃん? というところはありつつも、なんとなくわからないでもない。参加理由も明確にわからないままに召集された若者たち。使い潰され、死を雑に扱われる。初めて現実的な死を実感しても、逃げ場はない。逃げようとしても、見せしめとして殺されるだけ。やるかやられるか(歩くか死ぬか)の世界。
特に、ラスト。
詳細については伏せますが、終わり方に戦争に似たようなものを感じました。思わず溜め息が出ました。こういう終わり方、嫌いじゃないよって。中盤までは退屈な部分もありましたが、最後まで読んでよかった! と思いましたね。
まとめ:中盤まで耐えよう系小説
不謹慎ながら、中盤あたりまでは「なかなか人が減らないなあ」と思いつつ読んでいたんですが、そこを越えてしまうとあとはまあ面白かったですね。
ただ、先述したとおり、皮肉屋が多すぎてステビンズやマクヴリーズが何をしたかったのかはいまいちわからなかったかなと。なんなら、バーコヴィッチが一番理解しやすかったまである(笑)。
それにしても、「ただ歩く」というのをこんな過酷なゲームとして表現するのはすごいですね。


