友だちのうちはどこ?(字幕版)
アッバス・キアロスタミ監督の代表作のひとつです。
本作「友だちのうちはどこ?」、そして「そして人生はつづく」「オリーブの林をぬけて」で、「ジグザグ道三部作」と呼ばれています。
基本的には少年があちこち走り回るという単調な物語なので、その点で、好き嫌いには分かれるかな。
本記事は2024年08月に執筆されました。すべての情報は執筆時点のものです。
ワンフレーズ紹介
大変! 友達のノート、持って帰って来ちゃった!
作品情報
タイトル | 友だちのうちはどこ? |
原題 | Khane-ye doust kodjast? |
ジャンル | ヒューマン |
監督 | アッバス・キアロスタミ |
上映時間 | 83分 |
製作国 | イラン |
製作年 | 1987年 |
レイティング | All Ages |
個人的評価 | ★★★★☆ |
あらすじ
学校から帰宅した少年アハマッドは、間違えて、隣の席のネマツァデのノートを持って帰って来てしまったことに気がついた。ネマツァデは、先生に「次にノートに宿題をやってこなかったら退学させる」と言われたばかり。アハマッドはなんとかノートを返しに行こうとするが、ネマツァデの家がわからず、あちこち探し回ることになるのだった――。
登場人物
(敬称略)
アハマッド(演:ババク・アハマッドプール)
地元の学校に通う少年。隣の席のネマツァデのノートを持って帰って来てしまったことに気がつき、なんとか返しに行こうとする。
モハマッド=レダ・ネマツァデ(演:アハマッド・アハマッドプール)
ポシュテに住む気弱な少年。従兄弟の家にノートを忘れ、ノートではない紙に宿題をしてきたことで教師に叱られたうえに「次にノートに(宿題を)してこなかったら退学させるぞ」と言われてしまった。
教師(演:ゴダバクシュ・デファイエ)
アハマッドとネマツァデが通う学校の教師。基本的には正論を述べるが、そのだいたいが執拗で高圧的。
母親(演:イラン・オタリ)
アハマッドの母親。感情的になる場面が多いものの、子を愛する気持ちもある。
映画「友だちのうちはどこ?」の感想
映画「友だちのうちはどこ?」の感想です。なんていうか、「面白い」とか「つまらない」とか、単純な感想にはならないような作品でした。単調な物語なのにね。
登場人物は現地の人たち
最近でも、特にB級映画なんかでは、マイナーな俳優さんを起用するというのは、決して珍しいことではありませんよね。
でも、本作では、登場人物はすべて村の人たちなんだそうです。みーんな演技未経験。
イランの言語(ペルシア語かな?)はわかりませんが、微妙に演技っぽくないなあと思っていたら、そういうことだったみたいです。フィクションだけれど、フィクションっぽくないというか。
検閲を擦り抜けるメタファー的表現
正直、イラン情勢にはあまり詳しくないんですけれども、本作には多分に政府批判が含まれていたように思います。
70年代後半にはイスラム革命などがあり、検閲が厳しくなっていたであろう時代。
例えば、子どもの言葉に耳を傾けないどころか、ほとんど透明人間のような扱いをする大人たち。「大人の言うことは絶対だ」と言い聞かせるまた別の大人。
結構、このあたりの表現が過剰なので、国(=政府)を大人、国民を子どもと置き換えて政府を批判していたんじゃないかと。そうすることで、これはあくまでも「アハマッドという少年の物語」だと、検閲をギリ擦り抜けることができたんでしょうね。……という、勝手な想像。
子どもにとっては大事件&大冒険
で、社会風刺や政府批判などの話はいったん置いといて。
物語だけを見ても、結構面白かったです。
本作は、隣の席の子のノートを間違って持って帰って来てしまったというだけの話なんだけど、それが子どもにとってみたら大変なことに思える。
大人にとっては些細なことでも、子どもにとっては大大大事件なことって間々ありますよね。
子どもが騒いでいるのを見ると「そんな大騒ぎせんでも……」って思うんだけど、よくよく考えてみたら、自分が子どもの頃も、(あとあと思い返せば小さなことで)大騒ぎしては、親に「ぎゃあぎゃあ言わないの!」などと言われたりして。
しかも、アハマッドの場合、ノートの持ち主であるネマツァデが「次にノートに宿題をやってこなかったら退学させる」と教師に脅されているのを目撃しているわけですからね。こりゃあ大変だ! ってなもんですよ。
で、大人は頼れないので、とりあえず自分で返しに行くことにしたはいいものの。
肝心のネマツァデの家がわからない、と。
それで行き当たりばったり、偶然通りがかった人とか、声をかけてきた人に「ネマツァデの家知ってる?」と聞き回るわけだけども、これが子ども視点で、まるで大冒険のように描かれている。
このあたりにも共感しましたね。
今は近場と思える場所でも、小さい頃は遠く感じていた。今だったら車をちょちょいと運転すれば辿り着く映画館に、昔、子どもたちだけで(自転車で)行った時の「私、今大冒険してる!」なドキドキ感を思い出しました。
大人たちの理不尽さ
本作では、登場する大人たちがとにかく駄目駄目。というか、理不尽すぎて観るのがつらくなるほど。
一見正論で生徒を諭しているようだけれど、その実、生徒を辱めるような言動&高圧的な物言いで、子どもを都合の良いように支配しようとする教師。宿題をやれと言っておきながら、いざアハマッドが宿題に取りかかると、家事や赤ん坊の世話を手伝わせてそれを邪魔する母親。「ノートがないと友達が困るから、返しに行きたい」と訴えるアハマッドを一瞥もせず、遊びに行くための口実だと決めつけて「宿題をしてからにしなさい」と感情的に繰り返す母親。母親に買い物を頼まれたと言っているのに、躾のためだと必要のない買い物を押しつける祖父。
身内含め、全部駄目すぎて笑ってしまいました。つらすぎる。
特に序盤の母親にイラッとする人はかなり多いんじゃないでしょうか。
まあ、ここは日本でなく80年代のイランなので、日本よりもずっと「目上の人」に対する態度について厳しく言われるんでしょうけれども、だとしても酷すぎてアハマッドが可哀想になります。
一応、母親が息子を心配する描写もあるので、愛情はあるんでしょうが、私としては序盤の印象が強いせいで挽回できませんでした(残念)。
要領の悪いアハマッド
とはいえ、アハマッドはアハマッドでめちゃくちゃ要領が悪い。
遊びに行く口実だと決めつけてかかる母親に対して、もうちょっとうまく説明すればいいのに、ボソボソと「友達のノートを持って帰って来ちゃった」「ノートがないと友達が困るんだよ」と繰り返すだけ。その後、ネマツァデの家を探す際にも「ポシュテのどの地区?」と聞かれているのにもかかわらず「ポシュテ」と繰り返すだけ。
この辺は、素人俳優さんたちを慮って、セリフの種類を減らした結果でしょうか。
いや、でも、まあ、アハマッドぐらいの年齢だと(幾つかは知りませんが)、語彙力があるわけではないだろうし、細かく説明するのも難しいだろうから、リアルと言えばリアルなのかもしれない。
このアハマッドの不器用さに、イライラする人はいるかもしれません。
でも、可愛らしいアハマッドの視野の狭さ
そんな中、思わずクスッと笑ってしまったのは、アハマッド――というか、アハマッドをはじめとする子どもたちの視野の狭さ。
例えば、軒先にネマツァデが履いていたのと似ているズボンが干してあるのを見て「これはネマツァデのだ!」と確信してしまうこととか。
特注でもあるまいに、子どもの頃って、知り合いが持っていたものと同じものや似たものを見かけると「あ、○○ちゃんのだ!」などと思ったりするんですよね。んなわけあるかーい!
そして、ヒントを頼りに(?)辿り着いた家は結局、アハマッドの知るネマツァデの家ではなかったんだけど、その家の子が「ネマツァデの家なら知ってるよ。隣に枯れ木がある」と言ったり。のちに、大人から「枯れ木なんてどこにでもあるよ」と言われていた……。
自分の見たものが世界のすべて。
そんな視野の狭さは、大人からするとなんとも可愛らしかったです。
映画「友だちのうちはどこ?」が好きな人におすすめの作品
映画「友だちのうちはどこ?」が好きな人には、以下の作品もおすすめです。
- トラベラー(1974)
- 風が吹くまま(1999)
- ホームワーク(1989)
- 柳と風(1999)
まとめ:ほっこりするラスト
理不尽な大人たちに辟易したり、なんなら可哀想なアハマッド本人にイライラしたり、単調な物語の割に感情が揺さぶられる本作ですが、ラストはほっこり!
トータル、いろんな意味でとても面白かったです。
Rotten Tomatoes
TOMATOMETER 100% AUDIENCE SCORE 91%
IMDb
8.1/10