不思議惑星キン・ザ・ザ(字幕版)
この作品を観た人は必ず「クー!」と言いたくなる暗示にかかります。
もうその一言のみ。
……とはいえ、割としっかりした社会風刺映画にもなっていて、非常に興味深い内容だったと思います。雰囲気だけでも十分に楽しめるし、いろんな観方ができる作品。
本記事は2024年04月に執筆されました。すべての情報は執筆時点のものです。
ワンフレーズ紹介
クー!
作品情報
タイトル | 不思議惑星キン・ザ・ザ |
原題 | Kin-dza-dza! |
ジャンル | SF、アドベンチャー、コメディー |
監督 | ゲオルギー・ダネリア |
上映時間 | 135分 |
製作国 | ソ連 |
製作年 | 1986年 |
レイティング | PG-13 |
個人的評価 | ★★★★★ |
あらすじ
妻に頼まれてマカロニを買いに出た建築家のマシコフは、途中、「あの人が変なことを言っている」と困った様子の学生ゲデバンに助けを求められる。変なことを言っているらしいその男は、声をかけてきた二人(マシコフ、ゲデバン)に「自分は異星から来た。自分の星に帰りたい」と懇願した。異星人がいるなど信じられないと、男が持っていた空間移動装置のボタンをマシコフが押すと、そばにいたゲデバンもろとも、キン・ザ・ザ星雲のプリュク星へとワープしてしまうのだった。
▼DVD▼登場人物
(敬称略)
マシコフ(演:スタニスラフ・リュブシン)
建築家の男。浮浪者のような出で立ちをした男に「自分は異星から来た。自分の星に帰りたい」と言われたものの、異星などあるわけがないと信じず、男が持っていた空間移動装置のボタンを押してしまう。ゲデバンには「おじさん」と呼ばれる。
ゲデバン(演:レバン・ガブリアゼ)
学生で、バイオリン弾きの青年。マシコフと共にプリュク星に飛ばされる。マシコフには「バイオリン弾き」と呼ばれる。
ウエフ(太め)(演:エブゲーニー・レオノフ)
チャトル人。パッツ人であるビーと行動を共にしている。
ビー(ノッポ)(演:ユーリー・ヤコブレフ)
被支配者側であるパッツ人。チャトル人に対して、儀礼に従わなければならない。チャトル人のウエフと行動を共にしている。
映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」の感想
映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」の感想です。かなり独特な世界観となっているので、ハマるか苦手か、かなり二極化する作品だと思います。私にはハマりました。
変な映画
よし、映画を観よう。
そう思って、この映画を観始めると、開始10分。
変な映画だ……。
それ以外の感想が思い浮かばない。
なのに、なぜかやめられない。
気付けば20分、30分と時間が過ぎていって、あっという間に観終えているという不思議な作品でした。
とにかく雰囲気も絵面も、すべてがシュールなんですよね。ジャンルで言うとSF(コメディー)なんだけど、他のどの作品にも見られないような表現ばかりで混乱しつつ、でもなんか魅入られてしまう。
非常に芸術性の高い作品なのではないかなと思います。
置いてけぼりにならない作中の配慮
初っ端から異星に飛ばされるだけあって、設定自体は結構突拍子もないものばかり。
言葉は「クー!」か「キュー!」だけだし、あたり一面砂漠だし、なんだかマッチにめちゃくちゃ価値があるし、なにもかもが、いわゆる「地球」とはまったく違う世界です。それが「プリュク星」。
でも、ここですごいのが、鑑賞者が置いてけぼりにならない配慮がなされているということ。
このあたりの描写がかなり丁寧で、しかも自然でした。
例えば「マッチにはこんな価値があって」とか「ここでの言葉は『クー』が基本で」とか、どうにかして誰かに言葉で説明させる方法もあったと思うんですけれども、本作にはそれがない。
その代わり、異星にワープしてすぐに現地人(ウエフとビー)に出会い、マシコフとゲデバン、それに鑑賞者に二人の価値観を共有させる。そうすることで、すんなり物語の構造を知ることができるようになっています。
置いてけぼりにならないような説明があるのに、決して説明的になっていない。
自然とこの星(プリュク星)のことを受け入れられるようになっていました。
初めて異文化に触れたときの反応
本作を観ていてまず思ったのは、マシコフとゲデバンの置かれた状況それ自体はかなり特殊だけれど、現実世界にも起こり得ることだなということ。
言語が違う。文化が違う。習慣が、通貨の種類が、物の価値が、社会的構造が……地球とプリュク星では、なにもかもが違う。
プリュク星ではマッチ棒が非常に高価なものとして考えられているけれど、地球ではマッチなんて(使う人は少なくなってきているでしょうが)だいたいどこででも手に入るようなものだし。
ステテコの色で階級が分かれているとか言われたら、普通は「なんじゃそりゃ(笑)」となりますけど、プリュク星ではそれが一般的な価値観。ジョークを言っているわけでもなんでもない。
この、自分が今まで培ってきた常識や価値観、知識が一切通用しない感じ。
まさに、初めて異文化に触れたときの感覚に似ています。
例えば、自分が単身海外に行くことになったときとかですね。
私も海外で生活をしていたのでよくわかります。
簡単なところで言うと、私が住んでいた国は物価が高く(特に家賃と外食)、レストランやカフェで外食しようと思うと、日本円換算で一食2,500~3,000円など当たり前で、そこに飲み物などをつけようと思うと+1,000円とか。「たっけぇ~!」と毎度ヒィヒィ言っていたけれど、なぜかピザは500円ぐらいだったりする。なんでやねん。
「日本でピザ頼むと3,000円ぐらいするよな……(遠い目)」と思いながら、ピザばかり食べていた頃がありました。
あと、バーとかクラブとかで、ちょっとでもふらついたりすると酔っ払いと見なされて、バーテンダーとかガードマンとかに店を追い出されるなんていうこともあります。日本みたいに公園でアルコール類を飲むの(一部を除き、外での飲酒)は禁止なんていうのもありましたし。
雨が降ったとして、なぜかみんな傘を差さないということも。
本作では、マシコフとゲデバンがウエフたちに騙されるという描写がありましたけれども、これもまあ、ある種洗礼のひとつでしょう。
積極的に騙そうとしたからといって、必ずしもウエフたちが悪人とは限りません。
日本人は感覚的に「人を意図的に騙そうとするなんて悪人のすることだ!」と思うかもしれませんが、この作品を観ている限り、プリュク星で生活する人たちは総じて利己的で、騙す・騙される、賄賂の受け渡しなど、それが当たり前の価値観を持っているような気がします。
となると、悪人だからというよりは、プリュク星ではそういうものなんだ、と受け止めるほかないのかもしれません(中には「それは良くない! 自分が変えてやる!」みたいな人もいるでしょうけど、権力もない一個人がそんなことを海外でやろうものなら、たぶん浮きまくるでしょうね)。
マシコフとゲデバンの二人はつまり、準備ひとつせず異国(異星)に乗り込むとこうなるぞの典型例。
昔を思い出すなあ、と懐かしく思いました。
マシコフの成長
最初こそ、ウエフたちのことを嘲笑気味に見ていたマシコフですが、物語が展開していくにしたがって、徐々に何事も受け入れる姿勢に変わっていきましたね。
そうしなければ生き残れないのだと本能的に感じたのかもしれませんし、単純に慣れたということかもしれませんが。
とにかく、どこの星の人間か、地球人かそうでないか、そんなのは関係なく、自分に親切にしてくれた、あるいはなんだかんだ助けてくれた人にはそれなりの態度で、そうじゃない人にはそうじゃないなりの態度で、という感じに、割と融通が利くようになっていった印象でした。
マシコフおじさん、素敵でした。
絶妙な作り物感
もうね、時代的なこともあるのかもしれないんですけれども、私が特に惹かれたのがこの絶妙な作り物感でしたね。
ともすれば、B級っぽくすらある建物や景色は、なんとなくこの作風にマッチしていて好ましい。
鼻に付けられる鈴とか、頭に被せられるカチューシャのようなヘアバンドのようなもの。しかもなんかピカピカ光っている。
本作の中では決して笑うところではないんですが、この手作り感の奇妙さが私は好きでした。
痛烈な社会風刺でもすり抜けた検閲
本作で顕著なのは、プリュク星は階級社会だということ。
プリュク星にはチャトル人とパッツ人がいて、チャトル人のほうが上であり、パッツ人はチャトル人に対して儀礼に従わなければならないこと。黄色か赤色のステテコを履いたチャトル人「ステテコ様」に対しては、二度のお辞儀が必要なこと。
警官的存在と言えるエツィロップは非常に暴力的で、権力を振りかざしていること。
冷静に見てみると、痛烈な社会風刺になっています。
また、別の星ではウエフたちに比べると随分と身綺麗な人たちがいて、ウエフとビーの幸せを勝手に決めつける。「幸せかどうか本人たちに聞こう」とやや喧嘩腰に促すマシコフに対して「彼らに判断させたらきっと過ちを犯す」と、幸せの基準や方向性さえ自分たちが掌握しているのだとばかりに、上から目線で返す彼らの言葉。うすら寒いものを感じましたね。
それに対して「まるで神様気取りだな」と切り返すマシコフの皮肉も。
国の偉い人たちと一般市民。あるいは国と国。
当時の時代背景を考えると、どうしてもそういうふうに置き換えてしまいたくなるようなあからさまなシニカルな表現だったと思います。
あの頃のきっと厳しかったであろう検閲を通ったのは、今の時代であってもシュールな描写とSFの仮面を付けた作品だったからじゃないですかね。
映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」が好きな人におすすめの作品
映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」が好きな人には、以下の作品もおすすめです。
- ファンタスティック・プラネット(1973)
- クー!キン・ザ・ザ(2013)
- 未来惑星ザルドス(1974)
- 火星人メルカーノ(2002)
まとめ:鑑賞後には「クー!」と言っている
本作を鑑賞したあとにはきっと、誰もが「クー!」と言っていることでしょう。※「キュー!」はダメ、ゼッタイ。
痛烈な社会風刺らしき表現が多分に含まれていますが、そういうのは抜きにして、雰囲気だけでも十分に楽しめる作品です。純粋にシュールなSFコメディーが好きな人にもおすすめ。
Rotten Tomatoes
TOMATOMETER –% AUDIENCE SCORE 94%
IMDb
7.9/10