
数に溺れて リマスター
「数に溺れて」の感想です。
非常にジャンルに迷う映画でした。
たぶんサスペンスに分類されるとは思うんだけど、観ているうちに「これはサスペンスか……?」となってくるような。芸術性の高いアート映画のひとつでもありますね。
本記事は2025年11月29日に執筆したものです。すべての情報は執筆時点のものですので、最新の情報はご自身で直接ご確認ください。
ワンフレーズ紹介
3人のシシーが思うままに生きていた。
作品情報
| タイトル | 数に溺れて |
| 原題 | Drowning by Numbers |
| ジャンル | サスペンス、コメディー、ヒューマン |
| 監督 | ピーター・グリーナウェイ |
| 上映時間 | 114分 |
| 製作国 | イギリス |
| 製作年 | 1988年 |
| 公開年(英) | 1988年 |
| レイティング | 不明 |
| 個人的評価 | ★★★★☆ |
あらすじ
イギリスのとある田舎町で、慎ましく生きていたはずの3人のシシーが夫を手に掛ける――。
主な登場人物
(以下、敬称略)
シシー・コルピッツ(1)
(演:ジョーン・プロウライト)
シシー2の母親で、シシー3の祖母。夫の浮気現場に遭遇し、夫を殺めてしまう。
シシー・コルピッツ(2)
(演:ジュリエット・スティーヴンソン)
シシー1の娘で、シシー3のおば。夫との生活に見切りをつけ、夫を殺めてしまう。
シシー・コルピッツ(3)
シシー1の孫娘で、シシー2の姪。恋人と結婚するも、夫となったその人がシシー1、2の殺人に疑問を抱いたため、殺めてしまう。
マジェット
(演:バーナード・ヒル)
検視官。3人のシシーの犯行を知っているが隠蔽に加担。シシーたちにそれぞれアプローチをかけている。
スマット
(演:ジェイソン・エドワーズ)
マジェットの息子。ゲームに執着している大人しい少年。
映画「数に溺れて」の感想
映画「数に溺れて」の感想です。基本的には「なんだかよくわからんなあ……」という映画。でも、この雰囲気がとても好き。
主人公は3人のシシー
本作はWヒロインならぬT(トリプル)ヒロイン。
しかも、全員がシシー・コルピッツという名前です。ただの親戚ならまだしも、親子で同じ名前をつけるのは、日本にあまり馴染みのない文化で驚いてしまいますねえ。
きっと海外だと間々あることなのでしょう。映画界だと「アイアンマン」(2008)のロバート・ダウニー・Jr.とかもそうですよね。父親はロバート・ダウニー・シニア。厳密に言うと本名に若干の違いはあるようですが、にしても2人ともロバートとなると、不便が出てくる場面はそれなりにありそう。
本作の中では、母シシー(1)に娘シシー(2)、孫シシー(3)と3人のシシーが登場します。といっても、シシー3はシシー2の娘というわけでなく、ここはおばと姪の関係です。
名前の同じシシーたちでも、うまいこと混乱しないように作ってあるのがすごかった。
倫理観は問わず
本作を特定のジャンルに分けるとしたらサスペンスだとは思うんですが、基本的に、殺人に手を染めることへの是非みたいなものは語られません。3人のシシーの行動と決断をただ見ているしかない感じ。
なので、サスペンスらしくないサスペンスというか。
事故や病気として処理される3つの出来事を不可解に思っている人がいるという描写はあるものの、誰かがそれを捜査したりだとか、どんでん返しがあったりだとか、そういったくだりはありません。
シシーたちからは罪悪感のひとつも感じられない。そのうえ「別にたいしたことはしていませんけど何か?」という涼しげな顔をしているのがまたなんというか、とてもいい。日常の延長線上に起きた出来事として描かれている。こういうことは誰にでも起こり得るのだと。
シシー1が夫を沈めるシーンとか、ゾクッとしましたよね。
妻(シシー1)に見られているとわかっているのに、当然のように目の前で浮気相手とイチャイチャする夫。どう考えても事後(真っ裸だし)。さらには妻に向かって偉そうに口を利く始末。泥酔状態で風呂に浸かっている夫に無言で近付き、なんの表情も浮かべないまま夫の頭を静かに押さえつける。
以前、子どもは静かに溺れると聞いたことがあるんですが、子どもに限らず、溺れるときは人に気付かれないものなのかもなと感じました。シシー1の時もシシー2の時も、近くに他の人がいたのにもかかわらず気付かれませんでしたし(疑問は持たれていたようだけど)。
この3人とも、ほとんど衝動的にという感じだったからこそ、検視官のマジェットを巻き込むだけで逃げられたのかもしれませんね。
スマットがあまりにつらすぎる
個人的に、どうしようもなく悲しくなったのは、マジェットの息子であるスマットのこと。
スマットの考えていたことはわかりませんが、まぎれもなくこのおかしな大人たちの犠牲者だったと思います。こんな人たちと常に行動を共にしていたら、そりゃあ情緒もおかしくなるよと。
特に父親のマジェットなんて、シシー親子3代にわたりアプローチをかけていますからね。女とあれば見境なし。まあ、このマジェットをいいように使っているシシーたちなので、そこはお互い様と言えますが。でも子どもにとったら酷い環境であることに変わりはない。
このマジェットが滑稽に描かれていて、これはたぶんブラックジョークも含んでいるんだろうなあと思いながら観ました。
そして、劇中に星の数を数えながら縄跳びをする謎の少女が登場するのですが、この少女とスマットのやり取りや、その後のスマットの行動を見る限り、マジェットの影響をかなり受けていたであろうことが察せられてなおつらい。気に入った女性の言うことをなんとなく聞いてしまうんでしょうね。
マジェットが滑稽なのはこういうところで、検視官として死因を誤魔化せと言われているのだから、「じゃあ見返りに体を差し出せ」とか言えばいいのに(※倫理観はいったん無視)、やんわりアプローチはかけるけどそれだけで、シシーたちからは拒絶されているので実質搾取されるだけ。それを繰り返し、得られるものは何もなかったという。
スマットはまさに小さいマジェットという感じで、この環境がスマットをこのように育てたと言われているようで切なくなりました。
日々の営みの中で
日常の延長線上に起きた出来事のようだったというのは先述した通りですが、人が感情を抑制しなくなったらという感じでもありました。
劇中のシシーたちほどじゃなくても、誰かに対して酷く腹が立ったり「この人は自分の人生に必要ないな」と思ったりすることってありますよね。でも、人は理性的な生き物であるはずだから、アンガーマネジメントでやり過ごしたり、そっと距離を取ったりするわけです。
それに、ただの他人なら上記のように距離を取るということもできるけれど、それこそシシーたちのように夫婦という関係ならそれも難しい。シシーたちの場合は、その時にただ腹が立ったというだけでなく、(おそらく)この人に言っても聞いてもらえないという前提があっただろうし。
逃げ場がなくなり、感情を抑制する意味が見出せなくなったとき、人は思いもよらない行動に出ることがあるということでしょうね。
好きの裏返しは無関心?
で、シシーたちの何が怖いって、特にシシー1に言えることなんですけれど、自ら夫を手に掛けていながら、夫に対してたいした感情を抱いていなそうなこと。
好きの裏返しは無関心だと言いますけれど、そんな感じ。
じゃあわざわざ殺すのはなぜなのかということですが、もはや嫌い(恨む)というフェーズは通り越し無関心の域に達してはいても、無関心は無関心なりに、目の前にいられると不愉快なことに変わりないからそうしたという印象でした。
まあ、この辺は完全に自分の憶測なんですけどね。
画面上に浮かぶ1~100の数字
ちなみに、本作の面白いところは、1~100の数字が画面上のどこかに登場する点。
頑張って目を凝らしてみたけれど、全部見つけるのは無理でした(笑)。ストーリーに集中するとうっかり探すのを忘れてしまったりするんですよね。悔しい。
また今度、数字を全制覇するためにもう一度観てみようと思います。悔しい!(二度目)。
映画「数に溺れて」が好きな人におすすめの作品
映画「数に溺れて」が好きな人には、以下の作品もおすすめです。
- 友だちのうちはどこ?(1987)
- 不思議惑星キン・ザ・ザ(1986)
- ZOO(1985)
- 英国式庭園殺人事件(1982)
映画「数に溺れて」が観られる動画配信サービス
※記事執筆時点での情報です(2025年11月29日)。レンタル作品等も含まれます。
| Netflix | U-NEXT | Amazon Prime Video | Hulu | Ameba TV | FOD |
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まとめ:芸術性の高い奇妙な映画
まず、ストーリーというより芸術性を楽しむ映画だと思います。
ストーリーもなかなか興味深いものはあるけど、正直好き嫌いには分かれそうだし、スマットは「ああ……(絶望)」ってなるし。
これでもピーター・グリーナウェイにしては取っつきやすい映画らしい。他の作品が気になりすぎます。
Rotten Tomatoes
Tomatometer 88% Popcornmeter 88%
IMDb
7.1/10
Filmarks
3.5/5.0


