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映画「リトル・ジョー」あらすじ・感想|雅な気分に?観るだけで精神が削られていくスリラー映画

リトル・ジョー_タイトル スリラー

リトル・ジョー (字幕版)

一言。すごい面白かった。

ただ、メンタルががっつり持っていかれた気がするので、もういいかなという映画でした。

私は気に入った映画は2回でも3回でも観たいタイプなんですが、この作品は一度で満足! 面白いんだけど、精神的負荷がすごかった……ような気がする。

※本記事には、ラストを除くネタバレが一部含まれます。ご注意ください。

本記事は2025年03月21日に執筆されました。すべての情報は執筆時点のものです。

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ワンフレーズ紹介

――現実と妄想の境目を生きる。

作品情報

タイトルリトル・ジョー
原題Little Joe
ジャンルスリラー、SF
監督ジェシカ・ハウスナー
上映時間105分
製作国オーストリア、イギリス、ドイツ
製作年2019年
公開年(墺)2019年
レイティングG
個人的評価★★★☆☆

あらすじ

シングルマザーのアリスは、植物研究者としてとある植物の開発をしていた。その名も「リトル・ジョー」。一人息子の名を取って名付けられたそれは、徐々に周囲の人々に影響を及ぼし始めるのだった――。

主な登場人物

(敬称略)

アリス – Alice(演:エミリー・ビーチャム)

シングルマザー。植物研究者でもあり、新種の植物「リトル・ジョー」の開発に取り組んでいる。

ジョー – Joe(演:キット・コナー)

アリスの息子。アリスが仕事をしている間は、家に一人でいることが多い。ガールフレンドがいる。

クリス – Chris(演:ベン・ウィショー)

アリスの同僚で、同じチームで働いている。

ベラ – Bella(演:ケリー・フォックス)

アリスやクリスと同じ研究所で働く女性。精神疾患を患っており、孤立しがち。

心理療法士 – Psychotherapist(演:リンジー・ダンカン)

アリスを担当する心理療法士。

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映画「リトル・ジョー」の感想

映画「リトル・ジョー」の感想です。とにかく不穏な空気を浴びたい人はこれ! と言ってもいいぐらい、妙な不快感のある作品でした。素晴らしくも、二度はいいかなと思わせる映画。

不穏・オブ・不穏

本作を語るなら、不穏。この一言に尽きます。

もうなんか、雰囲気だけで楽しんでもいいぐらい。

もちろん、この不穏さがなんなのかを突き詰めていくともっと楽しいんですけれども、正直「嫌な気持ちになったな……」で終わらせてもいいような感じがしました。

ああ、しんどかった(でもちゃんと見終わった)。

現実か妄想か

で、ここでは早速この不穏さを突き詰めていくことにします。

本作は、「リトル・ジョー」の周辺で起きた変化は現実なのか、それとも単なる妄想なのかが区別しにくいような展開になっています。

というのも、アリス視点で考えると、これはもう大きな変化だし、確かにタイミング的にも「リトル・ジョー」が関係していると思ってしまっても仕方ないような気がする。

しかし、周囲の人たちの変化は、果たして本当に「リトル・ジョー」がもたらしたものだったのか。

そう考えると、一応、自然に変化しただけと言えなくもない範囲で収まっているんですよね。劇中でジョー本人も言っていましたが、母に冷たく当たるジョーはただ成長しただけ。健全な成長ステージの一環として、母親離れをする時期にあっただけ。そう思えなくもない。

クリスにしても、突然アプローチし始めたわけではなくて、何度か飲みに誘ってやっと頷いてくれたから、「これはイケる」と踏んだだけかもしれない。アルコールが入って、気が大きくなっていたのもあるでしょうし。

いろんな人が言うように、「リトル・ジョー」はただの植物かもしれないし、アリスやベラが疑っていたように、実際になにかしらの力を持つのかもしれない。

真実は誰にもわからないのです。

ただ、母親が真面目に心配していたことを(それが一見おかしなことでも)友達と一緒に笑いものにするジョーには、「おいおい、お前さんよぉ……」とちょいちょい呆れてしまいましたが。まあ、ここら辺は、普段放置されている分、溜まっていた鬱憤もあったのでしょうしね。子どもだし。

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信用できない語り手

そして、この現実か妄想かわからないという点について。

主人公アリスの存在が、より境目を曖昧にしている感じがしました。

というのも、我々はどうしても主人公視点になって物語を眺めることになるわけで、普通なら、感情移入できたほうが良いに決まっているんですけれども。

序盤からアリスが心理療法士のもとへ通っている描写があったり、ルール違反であるにもかかわらず「リトル・ジョー」を家に持ち帰ってきてしまったりと、「こいつ、本当に信じてええんか……?」と思わされるシーンが多々あるんですよね。これにより、一歩引いたところから観るようになる。

さらには中盤から、精神疾患があって職場で孤立しがちなベラに肩入れするような描写もあり、余計に疑念が募っていく。今起きていることはすべてアリスの妄想ではないかと。

いわゆる「信頼できない語り手」として、アリスは非常に優秀でした。

割と序盤のほうから、メンタルぐらぐらしていましたものね。そんなアリスを見るのがつらかった。私も結構不安感の強いタイプなので。

ジョーと会話をしている時、「私は物事を一番悪いほうへと考える癖が」というような発言をしていましたが、ああ、これ、私もだわ……と心の奥がザワザワしました。なので、このあたりに共感してしまう人は、少し元気なときに観たほうがいいかも。私は失敗しました。

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クリスのサイコ味

あと、さらに不安を煽ってくるクリスの存在。これもすごかった。

何を考えているかまったく読めないタイプというのか。好意を寄せてくれていても、その裏に残虐な顔を隠し持っているのではないかという独特な雰囲気があった。

個人的には、映画「サイコ」(1960)のノーマン・ベイツを演じたアンソニー・パーキンスを彷彿とさせるなと感じました。なので、背筋がなんだかゾワゾワした。

結局、本当に良い人なのか悪い人なのかわからなかったし。良い人でも悪い人でもなく、保身に長けたただの凡人かもしれないとも思ったり。研究者などをしているので、勉強はできるのでしょうけどね。

あえて映さないことのうまさ

また、本作にはほとんど直接的な暴力シーン(グロテスクなシーン)がありません

これはただ「ない」というだけじゃなく、あえて画角から外しているのです。劇中で暴力的な行為が行われようとしているときは、カメラがぬるっと横にスライドして肝心の場面を見せないようにしてしまう。あるいは、声や音だけが聞こえるようなシーンにしてしまう。

そうすることで、想像が掻き立てられるんですよね。「今、そこでとんでもないことが行われているんじゃないか」と嫌な妄想をしてしまう。

そこまでで十分、嫌な妄想をする下地は出来上がっていますし。もうこれは監督の思うツボというか、アリスは今こう考えているだろうというのが、この時点でうっすら理解できるようになっているのです。

非常にうまいやり方なんですが、うますぎて、このあたりからちょっともうしんどかったです。

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気持ち悪いカメラワーク

映画用語に詳しいわけじゃないんですが、そんな私でも、この作品のカメラワークが独特であることには気がつきました。

なんていうか、ぬるっとしている(笑)。

パンと言うのかな?(間違っていたらすみません) 固定カメラが水平に、右から左(あるいは左から右)にスライドしていく感じのカメラワーク。

映画を観ていると、ついそこに意味を見出そうとしてしまうものですが。

本作も例に漏れずそうで、パンした先に何かあるのではないかという不安を覚えさせます。そこで何も見つからないと、こんなにも特徴的な映し方をしておいて何もないはずないではないかとやっぱり不安になる。

もうね、本当にすごいよ……。

お洒落な照明と小道具

それから、照明の感じも良かったかな。

ちょっぴり「サスペリア」(1977)みたいだった。あそこまでカラフルじゃなかったけど。こう、原色の使い方がうまいと、お洒落だなあと感じますよね。

そして、小道具というか、「リトル・ジョー」のデザインもお洒落で良かったです。

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なんて雅な……

そう言えば、「この作品は不穏の一言に尽きる」と言いましたが、やっぱりちょっと言葉足らずだったかもしれません。

ところどころ雅な気分になりました(?)。

というのも、直接的に怖いシーンはないものの、不穏さを感じさせるシーンになると、突如として和太鼓&雅楽みたいなBGMが流れるんですね。

海外の人はただのBGMとしてスルーできるのかもしれませんが、こういった音楽に親しみがある日本人としては、突然雅な気分になるのでやや戸惑います

キスのあとに「ポンッ!」と響いたシーンでは、失礼ながら、「フッ……!」と少し笑ってしまいました。タイミングが良すぎる。

ちなみに、この音楽は日本の作曲家兼演奏家である伊藤貞司さんのものらしい。お恥ずかしながら、初めて名前を耳にした方でした。

本作の監督であるジェシカ・ハウスナーの作品は、実験映画家のマヤ・デレンの影響を大きく受けていると言います。そして、そのマヤ・デレンの夫が伊藤貞司さんだったんだそうです。

──伊藤貞司さんの音楽を使用したのも、マヤ・デレンさんの影響でしょうか。伊藤さんはマヤさんの夫だった作曲家ですね。

ええ、そうです。マヤの作品を知った頃から、音楽面もいいなと思っていて。先ほど撮影の話をしましたが、雰囲気を作り上げるのには、サウンドの役割も大きいですね。

(引用元:【単独インタビュー】『リトル・ジョー』ジェシカ・ハウスナー監督が語る、不快感の描き方|Fan’s Voice

このようなつながりがあるみたいですが、マヤ・デレンの作品には触れたことがないので、ちょっと気になるところです。いつか機会があれば……。

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幸せとは何か?

本人が思う「(自分の)幸せ」と、他人が思う「(その人の)幸せ」はこうも違うものなのかと思わされました。

まあ、私は「あなたのためを思って言っているのよ」という言葉は、そもそもあまり信じないタイプなんですけれども。

そういうのって、実は自分のためだったということのほうが多いですし。

ただ、本人は本気でそう思っているパターンも多いと思っていて(だからこそタチが悪いんですが)。

自分に関係ある誰かのことを100パーセント客観視するのって、とても難しいことですよね。自覚のない主観が入ったうえで「この人にとってはこれが一番良いはず」と考える。そして、そこには「この人にとっては(そして私にとっても)」という括弧書きが入っていることも少なくない。

そう考え出すと、自分でも気がつかないうちに相手の行動をコントロールしたいと思うようになる。アリスがジョーに対してそうだったように。それで、少しでも意に沿わないことをされると、裏切られたとすら感じてしまう。本作では、ベラにとってのベロがまさにそんな存在でした。

アリスは? クリスは? ジョーは? 本人たちは幸せそうでしたが、はたから見ていると「それ、本当に幸せなの?」と問いかけたくなるようなモヤモヤ感でした。でも、やっぱり幸せなんです。誰がなんと言おうと、本人たちは。

「いやでも、本当に?」

そう思ってしまううちは、やはり自分も、他人を「あなたの幸せのために」だなんて言葉でコントロールしたりしないよう、気をつけなければならないんだなと再確認した気持ちでした。

「リトル・ジョー」が取り除いてくれるのは

本作での「リトル・ジョー」という新種の植物は、「幸せになる香り」を放っているという話でした。オキシトシンの分泌を促し云々などの説明が入っていましたが、要は匂いを嗅いだら幸せになれるよ! ってことです。

なお、オキシトシン、セロトニン、ドーパミン、エンドルフィンが「幸せホルモン」と呼ばれる物質です。その中でも、オキシトシンは「愛情ホルモン」と言われるそうで、ハグをするといいんだとか。「そんな相手いないよ!」という人もいるでしょうが、なんとセルフハグでも効果があるらしい。すごいですね!

……と、話がズレてしまいましたが。

この「リトル・ジョー」はどのようにして、人々に幸せを与えてくれたのかということですが。

個人的には、執着と一種の理性を失わせることで、幸せを感じさせやすくしたのではないかと考えます。

例えば、ジョーの場合。

当然ですが、母親という存在に執着があったはず。ワーカホリックといっていいほど仕事ばかりで、そのうえ第二の息子と言える「リトル・ジョー」までもを家に持ち帰ってきたアリスに、諦めを感じつつも、自分を見てほしい、もっと一緒に過ごしてほしいという執着を感じていたのではないか。

ところが、その執着を捨て去った瞬間、父親のもとで暮らすと(アリスからしたら)突然決断することになる。

ただそれだけなら、アリスにそれを伝えて終わりだったはずだけれども、アリスと揉めた際、故意でなかったとしても、ジョーはアリスに怪我をさせてしまうんですよね。このあたりはクリスもそうだった。好意を寄せているはずの女性に、カッとなって手を上げてしまう。

理性がきちんと働いていれば、なんとか押し留まれる場面です。

ベラにしてもそう。

ベラの執着はおそらく「命」で、その執着を失い、さらに一部理性までをも失くしてしまったからこそ、愛犬ベロを殺処分するという決断をしてしまったのではないか。

執着と(一部)理性が失われることで、悩みもなくなり、本人たちはやっぱりハッピーなんだろうけど、悩みのない人生って羨ましいようでいて、実はそうでもないのかもしれないなと思わされました。いや、まあ、悩みなんてできるだけないほうが良いに決まってはいるんですが。ひとつもないと、それはそれで張り合いがなくなったりはしないのかなと。

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美しいものは不気味

で、美しいものって不気味ですよねって話。

植物の「リトル・ジョー」もそうで、美しいからこその棘というか、不穏さがある。このあたりは、アリスやジョーにも感じたことでした。

人間に対する美的感覚は、そりゃあ人によるんでしょうが、私には、アリスを演じたエミリー・ビーチャムとジョーを演じたキット・コナーがとんでもなく美しい人に見えました。

特にアリスは、精神的に不安定になっていくのが手に取るようにわかるため、事あるごとに触れてはいけないような何かを感じました。不穏だ……不穏すぎる

メンタルが削られていく

私の場合はですけれども、この作品を観て「ただ嫌な気持ちになった」と終わらせたくはなかったので、上記のようにいろいろ考えてみたわけです。なんだか考察のようになってしまいましたが。

でもやっぱり、不安な気持ちは相変わらずでした。

なんていうの?

夜に布団に入ると、明確な理由のない不安感が押し寄せてくる感じ。ちょっと鬱っぽくなりそうなので、頑張って言語化したみたいなところある。不安に言葉をつけたかったというか。

たぶん、自ら進んではもう観ないけど、素晴らしい作品でした。

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映画「リトル・ジョー」が好きな人におすすめの作品

映画「リトル・ジョー」が好きな人には、以下の作品もおすすめです。

  • NOCEBO/ノセボ(2022)
  • ハッチング―孵化―(2022)
  • ビバリウム(2019)

まとめ:不穏な空気を浴びたい人に

メンタルが不安定なときには控えたいものですが、逆に「今、不穏な空気を浴びたい……!」というときもありますよね。そんなときにおすすめの作品です。

基本的には物静かで、決定的なことは何も起きない妙な映画。

だけれども、とにかく不穏です。不穏に次ぐ不穏。観たあとも決してスッキリはしません。このモヤモヤ感が良いという人には、ぜひ観てほしい。

Rotten Tomatoes
TOMATOMETER 66% AUDIENCE SCORE 41%
IMDb
5.8/10

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